豊洲社中株式会社 設立趣意書
日本が元気がない。
「失われた30年」いう言葉も聞き慣れるほどに年々と閉塞感が強まる。
その要因は何か?
「政治のせい」「財政金融政策のせい」などと何かのせいにしたがる風潮もあるが、何か一つのせいにできるほど単純な問題ではない。
考え得る要因の中で、日本が過去30年に新しい中核産業を興せなかったという事実は間違いなく大きな要因の一つだろう。
日本は、戦後復興から高度成長期にかけて次々とイノベーションを生み、電気製品や自動車に代表される多くの「モノ」を武器に世界トップの競争力を持つに至った。
しかし平成に入り「日本はイノベーションが生まれにくい」などと不名誉なことが言われるようになり、新しく中核となる産業を生み出せずにいる。
過去に最強だった武器を磨くことに注力するあまり、残念ながら新しい武器を生み出すことがおろそかになってしまった。
しかし悲観ばかりしている必要はない。最近では、「モノ」ではなく「コト」の分野で世界で勝負をする分野が増えている。
漫画やアニメに代表されるソフト分野や、インバウンドでの日本体験などが代表格であるが、私は「日本の食文化」に大きなポテンシャルがあると信じている。
日本の食文化は世界に誇るべき財産であり日本の武器である。
ミシュランガイドの星付きレストランの数では東京が世界ダントツ1位であり、2位のミシュランのお膝元パリを大きく上回る。
そして3位の京都、4位の大阪がほぼ同数で続き、たった一か国でトップ4のうち3つを占めるのだ。
2013年には「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されたのに続き、今年は「伝統的酒造り」の登録に向けた申請が行われる予定である。
日本は世界でも圧倒的な美食の国なのだ。
この強力な武器を活用しない手はない。
しかしそのポテンシャルは最大限活用されているだろうか?
例えば、外国の都市を歩けば日本食のレストランは増えているが、外国資本による「日本食もどき」の店が多かったり、日本資本でも大手チェーン店のように体力のあるところが中心になっているように見える。
東京や京都や大阪などの美食の街でしのぎを削り、本物の味を提供する数多くの中小規模の飲食店が海外展開している例はまだそれほど多くはない。
それはなぜか?
海外展開に必要な「ヒト」「味」「ノウハウ」の3つを揃えることは中小規模の飲食店にはハードルが高いのではないか。
逆に言えば、
「海外に飛び出す挑戦心あふれる人材」
「日本の美食の街で鍛えられた本物の味」
「実際に海外展開をするためのノウハウ」
の3つを揃えられれば、このポテンシャルを解き放つことができるのではないか。
そのためには、これらを持つ人たちが出会い、お互いの強みを持ち寄って、共に海外に挑戦するプラットフォームがあればいいのではないか。
私たちはこのような未来を実現するため、
「日本の美味いものを共に世界へ」をミッションに掲げ、
「食を武器に世界に挑戦する人や会社のためのプラットフォームを作る」
ことで、日本の食文化の輸出という産業にイノベーションを生み、変革を起こしていくことを目指すものである。
今、食の分野に限らず多くの分野でイノベーションや変革が必要になってきている。
過去を振り返ると、日本は近代史の中で2度も世界から奇跡と言われるような変革を起こしている。
一つは明治維新からの近代化であり、もう一つは戦後復興からの高度成長である。
これらの時期には、それまでの秩序が壊れて既得権が失われ、人々の価値観が変化していく中で、多くの人が新しいことに挑戦し、よりよい社会を目指して変革を起こしていった。このような変革のメンタリティーは日本人のDNAに組み込まれているのだ。
半藤一利氏が著書「昭和史」の中で近代日本は40年周期で盛衰を繰り返していると述べている。
この視点で見ると、2度の変革期が明治維新(1865年前後)からの40年間と、敗戦(明治維新から80年後)からの40年間に起こったと解釈できる。
そして奇しくも来年2025年は敗戦から80年の節目に当たるが、これは次の40年を3度目の変革期とできる可能性があるということなのではないか。
そのためには、日本人が元来持つ変革のDNAを呼び覚まし、現在の秩序や既得権を打破し、人々の価値観が変化し、多くの人が新しいことに挑戦する社会を目指していく必要があると信じる。
今から約160年前の1865年、坂本龍馬は世界に挑戦し海から日本を援けるために長崎で亀山社中を作り、海援隊へと発展させた。
私たちは、日本の食文化の発信地でありまた創業者3人のゆかりの地でもある「豊洲」の地名を拝借し、坂本龍馬と同様の志を胸に「食で世界に挑戦する人を援ける」という意味も込めて「豊洲社中」を設立する。
幕末のもう一人の偉人吉田松陰は、下田沖に停泊中の黒船に乗り込むという無謀とも言える行動の末に幕府に捕らえられたが、その際にこんな詩を詠んでいる。
「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
日本の行く末を憂う強い気持ちと、抑えきれない挑戦心が彼を突き動かしていたのだろう。
私たち豊洲社中の想いもこの吉田松陰の想いに通じる。
今私たちにあるものは、
日本を元気にしたいという想い、
自ら挑戦しそして挑戦する人を応援したいという想い、
そして志を共にする3人の仲間である。
豊洲社中の3人は、大手保険会社の海外進出の立ち上げ期からその成長を牽引した後に、それぞれ全く別の業種に進んで力を蓄え、今ここに再結集した。
「日本の美味いものを共に世界へ」
私たち3人は志を果たすべく新しい挑戦を始める。
令和6年1月22日
豊洲社中株式会社
Co-Founder CEO 牧内秀直